1993 年生まれ、大学を卒業後に株式会社エイチームに就職。現在は Qiita 株式会社に所属しています。
業務では 企画を考え UI を作成し一部フロントエンドの実装までを担当。
個人でも Web サービスやアプリの開発をしており、このサイトも 1 から作成しています。
アイデアルデザイナーを標榜中。
私が出来ること
- 画像編集、グラフィック、エディトリアルなど静的なスタイリング
- モーショングラフィックス、動画編集など動的なスタイリング
- プロトタイプ作成やユーザーテストなど、UX デザイン
- 設計から実装まで、ビューに関わるコーディング全般
普段の私
X (Twitter)とQiitaによくいます。
X (Twitter) では日頃のちょっとした気付きやアイデア、あるいは制作の状況など。Qiita では技術寄りの記事を書いています。
良かったら是非声をかけてください。
デザイナーを志した理由
始まりは高校受験の頃
中学 2 年の終わり頃、進路を決める時期の話です。
自分は当時“将来やりたいこと”が全く見つからず、志望校を決めなさいと言われてもピンと来ていませんでした。
両親に「勉強をするのも面倒くさいし、勉強せずに入れるぐらいの高校に進むんじゃダメかな?」と素直な気持ちで打ち明けました。
そこで言われたのは、要約すると以下の 2 点です。
- 頭の良い人が学歴の関係ない職業に就くのは難しくない
- 勉強してこなかった人間が学歴の要る職業に就くのは難しい
学歴主義な親ではなかったので差別的なニュアンスではなく、それでいて理にかなっているなあと頷ける話でした。
合点のいった私は“夢がないから勉強する”と決め、地元ではそれなりに頭の良い高校に合格しました。
大学受験で「気づいた」
時は経ち……今度は大学受験のシーズンです。
志望校を決めるにあたって、初めは「周りのみんなと同じような学校で良いかな〜」ぐらいの考えでした。
しかし、高校受験の頃も“特に夢が無いから妥当な判断”で志望校を決めたことを思い出します。
高校に引き続き大学までそんな決め方をしたら、自分の人生はずっと妥当なものになってしまうような気がしました。
じゃあどうすれば人生が豊かになるんだろう?考えて自己分析を始めました。
これから何十年か、自分の人生を賭して打ち込めるものは何だろうと悩み、出した答えが“イラストを描くこと”。
当時は絵を描くことが好きで、描き始めて気がついたら日が昇っていた……なんてこともあります。
これだけ好きだったら後悔しないはずと確信し、美大受験へと切り替えました。
当時は偏差値で言えば 70 以上あったのでかなり無茶な進路変更だったはずです。
しかし今こうやってデザイナーとして仕事をしていて、我ながら良い判断をしたと感じています。
デザインの楽しさに気づいた大学生活
イラストレーターになりたかった自分ですが、入った大学はデザイン科でした。
憧れていたイラストレーターさんの経歴を調べたところ
デザイン系の仕事 → 独立してイラストレーター
というパターンがよく見られたのでそれに倣おうと考えていたのを覚えています。
しかし授業でデザインの力や考え方を教わるにつれ、デザインの楽しさに気づいていきました。
また、この後のセクションで詳しく書いていますが、自分の人生の中で ideal を生み出すためにはどうしたら良いかをしょっちゅう考えていた時期でもあります。
大学生のうちに自分のやれることの種を増やそうと思い、グラフィック・Web・映像・プロダクトと色々なジャンルに手を出していました。
未経験の領域を学びに行くフットワークはこの頃身に付けたのではないかと思います。
エイチームに入社 → 今に至る
大学卒業後はエイチームに入社し、現在も在籍中です。
見た目を作って終わりではなく、長い時間をかけてプロダクトを育てる働き方にやりがいを感じています。
データからユーザーさんの期待や迷いを分析して改善するなど、少し前までは想像もしていなかった“デザイナーの価値”にたくさん出会えました。
インハウスの特性上、このポートフォリオには実績を載せられませんが引き続き精進していきます。
未来史
将来何をしていたい。どのようになっていたい。と未来の年表を書いて常に意識しています。
もともと自分が見るためだけに書いていましたが、人に共有する機会も多くなってきたのでこちらにも掲載。(2022 年 1 月更新)
死んだ後
- 死後数十年経って、教科書などに記述がある
- 「現在の ○○ の原型は、2000 年代半ばに綿貫佳祐によって作られた △△ である」
- 「当時の水準から考えると明らかに異常な完成度」
- といったイメージ
死ぬ日 2060 年頃(70 歳前後)
- 生活習慣がカス過ぎて平均寿命まで生きられないと予想し、とりあえず 70 歳頃死ぬとする
- 「あのとき作った ◯◯ は ideal。これを超えるものは無い。」と口に出して死ぬ
- 現実的に考えれば技術革新などで容易に超えられるはずであるが、死の瞬間には誰も「超えられるイメージ」が持てないものを作る
- サービス、制度、会社、文化……最終的に何を作るのかは分からない
2053 年(60 歳)
- 小学生からデザイン教育が受けていた世代がある程度社会に存在している
- デザインイミグラント世代に対して、デザインネイティブ世代
- 日本人が「美しさ」についてのクオリアをある程度共有している
- 2022 年現在、美術的な教育などを経た人間はある程度「美しさ」の共通認識がある
- 逆に、明確な意図を持って鍛錬を積まないと獲得しづらい
- にも関わらず、教育や社会全体の空気により、多くの人がうっすらと「美しさ」のクオリアを共有している
2043 年(50 歳)
- デザインの義務教育が始まった頃の中学生が社会に出始めている
- 「美しくない」に忌避感を示している
- X 世代がデジタルイミグラントと呼ばれるのになぞらえると、デザインイミグラントの世代
- デザインイミグラント世代と、これからどうして行くと社会が美しく善くなるのかを対話している
- 2022 年現在から意識している「他者への継承」が社会に影響を与え、その社会に育てられた存在が私に影響を与える
2033 年(40 歳)
- 義務教育の中にデザインが入る
- カリキュラムや教材を作っているうちの 1 人に自分がいる
- より多くの人が美しさに触れられるための営みをしている
- 新しい世代はデザイン教育を受けられるとして、古い世代がノータッチでは断絶を生んでしまうかもしれない
- 世代の違いを超えて「普通に手に入る」ものとして世の中に提供する
- イベント、サービス、フィジカルプロダクト……形式は分からない
- 新しい世代はデザイン教育を受けられるとして、古い世代がノータッチでは断絶を生んでしまうかもしれない
2028 年(35 歳)
- 戦略としてのデザインが欠けている場合、競合劣位であると示している
- もはやデザインによる優位性はなくコモディティ化していて、むしろ欠けているのが劣位性
- ロジカルシンキング研修のような、比較的多くの場所で行われている学びのように世に広めている
- 産学協同の取り組みから、世の中に良い変化を与えている
- 営利目的だけでは成し得なかったような、感性に寄った挑戦が功を奏している
- 私自身もそこから刺激を受けている
2026 年(33 歳)
- 無形資産としてのデザインを誰でも認知可能な形式で示している
- 「美術的な素地のある人にしか知覚できない存在」ではなく「財務諸表を見れば分かる資産の多寡」くらいにまでコンテクストを下げる
- 戦略策定時のデザインの有無によってどれくらいレバレッジが変わるかの証明
- 産学協同の取り組みに協力している
- 美大に限らず様々な種類の学校が対象
- 直接的かつ常に自分が関わる場所(会社など)以外へも影響を与え始めている
2024 年(31 歳)
- 無形資産としてのデザインを世に広める
- 何かを証明できるほどの効果が出ていないにせよ「我々はこういった活動をしている」と世に広めている
- 受け取ってくれる人がいて、それによって世の変化が少しでも起これば良い
- 数世代に渡る継承の手応えを感じ、ノンバーバルながらも確固たるものとしている
- 自分が直接継承を行った人が、更に下の代へ継承しはじめている
- 継承を重ねる中で自然と新たな思考や行動も生まれている
- 今はまだ存在しないようなジャンルが必須になりはじめて、身につけ出す
2023 年(30 歳)
- 無形資産としてのデザインを育てる
- 今年の売上のために数年後の資産を毀損してはいけない
- 自分達が作っているものが、何のために存在するのかを考える
- 哲学や信仰無くして「資産」足り得るデザインは生まれない
- そのため、2022 年の活動がここで活きてくる
- 自分から特定個人への継承について、ある程度の感覚を掴んでいる
- 思考にせよ技術にせよ、自分の持つ何かを他者へ上手に継承する感覚
- 2022 年現在は全く手応えがない
- 私個人がいくら成長しようと、他者に何も継承できないのであれば、種の存続的な観点での変化量は 0
- 思考にせよ技術にせよ、自分の持つ何かを他者へ上手に継承する感覚
2022 年(29 歳)
- 強いデザイン組織を作る
- 水の低きに就くかのような平準化をしない
- 特定分野が著しく秀でた人がいれば、その強みを最も活かせる采配をする
- 哲学や信仰を大切にしつつ営利的な考えができるような、二面性を組織として備える
- すべての個人に求めるのではない
- 組織全体で見た集団意識に二面的がある状態
- デザインを戦略に組み込む
- デザインは工程として最後の方に位置するため、戦術にしか組み込めていないことも多い
- 組織の構造を変化させたり、デザインの効用をプロモーションしたり、主体的に実施できることは全てやる
- 「正しいことをやっていれば誰かに評価される」姿勢では実現しない